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佐渡芸能の歴史

小獅子舞解説:山本修巳  
(郷土史家、佐渡市文化財保護審議会会長、「佐渡郷土文化」主宰)

小獅子舞は、前浜海岸地方と外海府海岸地方に分布しています。前浜海岸地方では、小木地区小木町と赤泊地区杉野浦、赤泊地区赤泊新谷、両津地区赤玉、両津地区城腰。また、外海府海岸地方では、相川地区南片辺、北川内、北田野浦です。

小獅子舞は佐渡では海岸地方にだけ分布しますが、「小獅子舞」と呼ぶのは、小木稲荷町・杉野浦・赤泊新谷で、赤玉や城腰では「踊」、南片辺・北川内・北田野浦は、「獅子踊り」と呼び、衣装も白装束で、獅子頭も素朴なものとなっています。

これらの舞は、白山神社に奉納されることが多く、しかも南片辺・北川内・田野浦の獅子の白装束姿は修験の装束を思わせるので、なんらかの形で、伝来に修験が関係したことがあったのではないかと考えられます。

小木町稲荷町の小獅子舞


小木のものは小木町稲荷町の稲荷神社(以前は白山社)の祭礼日8月28日に奉納され、さらに29日・30日の小木町全体の鎮守木崎神社の祭礼にも奉納されます。
稲荷神社を京都の伏見稲荷神社から勧進した時、露払いとして小獅子が不随してきたと言われています。当日午後3時ごろに獅子宿に雄獅子・小獅子・雌獅子・笛・太鼓・歌い手が集合し、出発。稲荷神社で「宮踊」、隣の阿弥陀院で「寺踊」、その後、「町踊」で稲荷町の全戸を回ります。町内を回り終わると伊勢音頭をはやしながら獅子宿に帰ります。

宮踊・寺踊・町踊とも所作はほとんど同じで、親子3匹の鹿が遊んでいるうちに、霧のために子鹿を見失い、狂気のように探し求めるが、霧が晴れて子鹿を見い出し、喜びに乱舞するというもの。踊り手の打つ太鼓と地方の歌と笛とが一体になって舞います。

赤泊地区杉野浦の小獅子舞


赤泊地区杉野浦の小獅子舞は、4月1日の白山神社の祭礼に奉納されます。
村人3人が紀州熊野本社へ参詣した時、夢のお告げによって迎えたといわれています。小獅子宿は以前は斎藤家でしたが、現在は公会堂となっています。行列は、先獅子(雌獅子、頭に刀)、中獅子(雌獅子、頭に飾りなし)、獅子(雄獅子、角の飾り)の順で、幣束を持った子供と笹竹を持った子供が先導します。獅子の後には笛と歌い手が続きます。舞の中心は「小獅子隠し」です。最初は白山神社前、次に勝蔵院(勝浦家、修験で熊野社の別当)では「宮の前」という歌詞で踊ります。次に集落の総代のところでは、「百姓の前」という歌詞で踊り、そのあと一軒一軒回ります。「百姓の前」には「走り歌」・「練り歌」・「休み歌」などがあります。

赤泊地区赤泊新谷の小獅子舞


赤泊地区赤泊新谷の小獅子舞は4月16日に赤泊の八幡若宮神社の祭礼に奉納されます。
赤泊の大屋仁科利左衛門が京都の祇園社の祭りを見て帰り、伝えたといわれています。

行列は笛・雄獅子・中獅子・後獅子・太刀の順で神社でお祓いの後、「宮踊」を行ったあと町に入って一軒一軒回ります。
舞は「後獅子(雌獅子)探し」です。歌は「なげ草」と「小歌」に分かれます。さらに「なげ草」には神社で歌うものと各家で歌うものがあります。「なげ草」の歌は、「獅子をほめるに限りなし、ここにこのまま遊べ友だち」とうたって小歌になる時、雌獅子が隠され「七つから今までつれた雌獅子を、これのお庭に隠しとられた」とうたいます。
やがて、雄獅子・中獅子が雌獅子を探し見つけて、「うれしやの錐をふき分けて今こそ雌獅子にあふぞ嬉しき」となります。

両津地区赤玉の小獅子舞


両津地区赤玉の小獅子舞は、4月9日に近い日曜日の赤玉神社の祭礼と6月の第1日曜日の杉池大明神の祭礼に奉納されます。
舞は京都から習い伝えたといわれており、「花笠踊り」のなかの小獅子舞となっています。赤玉神社は、かつて小田原神社・御霊地神社・白山神社が合祀になったもので、「花笠踊り」は、これら三社からの役員3人ずつが出て九人衆として取り仕切っていました。小獅子舞の演目は「練り込み」・「ささら踊」・「獅子狂い」で、1匹の雌獅子を2匹の雄獅子が争って、ついに1匹の雄獅子が雌獅子を自分のものするというもので、最後に接吻の所作があります。

両津地区城腰の小獅子舞


両津地区城腰の小獅子舞は、9月15日の久知八幡宮祭礼に「花笠踊り」のなかの小獅子舞として奉納されます。(詳しくは花笠踊りを参照)
小獅子舞は、朝霧によって隠された雌獅子が、霧が晴れて雄獅子・子獅子にあえた喜びを笛と太鼓につれてうたい舞うものです。

相川地区南片辺の小獅子舞


相川地区南片辺の小獅子舞は、4月15日白山神社の祭礼の宵宮に奉納されます。
14日夕方、集会場に集まり支度をしたあと、日が暮れると青年会の代表の弓張提灯と高張提灯に迎えられて神社に登り、境内に設けられた土俵の中で舞います。
歌詞では、雌獅子が隠されたことになっていますが、演技は雌獅子が小獅子を隠したので、雄獅子が怒ったところ、小獅子が現れて喜ぶという動作になります。
かつては、獅子の太鼓と笛にあわせて土俵の外側で「つぶろ」が舞いました。歌詞に、「なかだちは伊勢で生まれた伊勢育ち腰にさしたは伊勢のお祓い」という文句があります。350年前、加賀の白山神社の獅子舞を伝えたものだといわれています。

相川町地区北川内の小獅子舞


相川町地区北川内の小獅子舞は、4月15日の祭日の宵宮に行われます。
明治初年ごろ、北川内の浜野栄蔵が赤泊より修得したといわれています。14日の夕方、舞い手は、宮守の本間勘十郎家(現在は総代宅)で衣裳をつけ、日が暮れると神社に向かいます。
中獅子・雄獅子が隠され、その後、雌獅子と対面でき、その喜びの場面が中心となります。かつては南片辺と同じように、「つぶろ」が登場しました。

相川地区北田野浦の小獅子舞


相川地区北田野浦の小獅子舞は、花笠踊のなかの芸能として、4月15日の祭りの宵宮で、御礼智神社に奉納されます。350年前、上方参りに行った人たちが修得してきたものを伝えられています。宵宮の当日、宮守の家(現在は集落センター)に集まり、支度をして神社や寺など4ヶ所で舞います。小獅子舞については、雌獅子・小獅子が隠されたが、天の霞が晴れて、雄獅子にあうことができた喜びの物語となっています。

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