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佐渡芸能の歴史

田遊び神事解説:山本修巳  
(郷土史家、佐渡市文化財保護審議会会長、「佐渡郷土文化」主宰)

稲作の豊穣を祈って行われる神事に、畑野地区大久保の白山神社の田遊び、赤泊地区下川茂の五所神社の御田植神事、小木地区小比叡の小比叡神社の田遊び神事があります。

畑野地区大久保の白山神社の田遊び


畑野地区大久保の白山神社は、いまは小佐渡山脈の山ふところにありますが、かつては、畑野地区下畑にありました。
文覚上人の開基と伝えられる真禅寺の向かいに白山神社があって、毎年正月3日に田遊び神事が行われています。
この神事に八人が奉仕し、上役である大屋と下役である隠居は毎年同じ家があたります。(現在はその年によって変わることがあります)

大家・隠居を除く6人が田仕事を手伝う田人(とうろ)というものになりますが、それには25歳・24歳の厄年の人が厄払いのためあたっています。(現在はそれに限定されません)

神事の前日1月2日、氏子総代の家で、田遊び神事に使う「鍬の餅」用に餅を搗きます。餅は二升搗いて、平にのばし1枚を十文字に切って4つとして、2枚で8人分の「鍬の餅」ができきます。

鍬の柄は桑の木で作った、長さ一尺五寸くらいのもので、先が二股に分かれて鍬の餅をつきさすようになっています。
1月3日、午後3時ころ、真禅寺に集まって寺の風呂に入り、塩で身体を潔め、裃をつけて餅の鍬をかつぎ、白山神社への石段をのぼります。(現在は寺での支度は行われていません)

拝殿の左側の「餅焼石」の上で、豆殻を焚いて全員が鍬の餅に焼きを入れます。

拝殿では、大屋・隠居が左右に坐り、六人の田人が内側に向かって並び、午後4時ころ神事を開始します。
最初、大屋が神前で「東西南北を始めます」と唱え、餅の鍬をかたにして中央に出ます。東の方に「東まちしんじょ」、西の方に「西まちもしんじょ」、南の方に「南まちもしんじょ」、

北の方に「北まちもしんじょ」、「合わせて五万五千つぼ、仲の良いところを苗代にきめます」と唱え、足で板を踏みならします。

次に、隠居が餅の鍬で「水口をあける」所作をします。次に大屋が餅の鍬を肩にして、「田まわり」をする所作をします。
次に大屋が出て、「とうろ(田人)衆、とうろ衆、春かじを頼みます」といいます。
「春かじ」とは田打ちのことです。
そうすると一同は「餅の鍬」かついで、中央に出て、大屋の音頭で、「アー春鍬が揃うた」と5、6回繰り返しながら、板をふみならし田打ちの所作をしてまわります。
次に大屋が出て鍬の餅で「水止め」の所作をします。次に大屋と隠居が出て「畦塗り」の所作をします。
次に大屋が出て「ノウグサを放します」といって、ユズリ葉4、5枚を撒きます。
次に隠居が出て、オオアシ(大足)を引く所作をします。
次に「この程にこの程に、福の種を福の種を福の種を」と3度繰り返して種を蒔く所作をします。
次に隠居が田まわりの所作のあと、大屋の音頭によって、田人衆が苗を取ります。
次に大屋の「田まわり」があり、隠居の音頭で、鍬を打つ「田起こし」の所作となります。次に隠居が「苗配り」の所作をして、最後に大屋の音頭で、田人衆が、
「ホーケキョーにカクチュウテコーソシーラ給え と唱え」などと唱えながら後へ下りながらユズリ葉をまるく床の上に置きます。
これを4、5回繰り返し、大屋が「ああ苗がたくさんあまった」といって、田植えを終えると一同はもとの席にもどり謡曲をうたって式を終わります。

田遊び神事は昭和36年、県無形文化財に指定されました。

赤泊地区下川茂の五所神社の御田植神事


赤泊地区下川茂の五所神社の御田植神事は、毎年2月6日、午後4時半ころから本殿内で行われます。
神事を行うのは、神官と氏子総代、宮方(大足引き1人、しろうと(代人)6人)、こなえうち(小苗打ち)の氏子男児(7歳から15歳までくらいおよそ20人)です。

神前の麻の裃をつけた宮方7人と羽織袴の氏子総代一同が着座して、神官が大祓いをして御田植神事の祝詞をあげて始まります。

初めに苗取りの式では、祭壇に供えてあるたわら束を神官が下ろし、6人の代人に渡します。
代人は、それぞれわらのぬいごを3本ぬいて紙にはさんでふところにおさめます。
次に祭壇に供えてある1メートルくらいの松の枝六本を神官が下ろし、6人の代人に渡します。
松の葉は稲苗で、この松の葉をとりながら口の中で、「東山小松かきわけてあのいづる日も西へは入らであのここにてらす」と聞こえないように唱えます。
先に抜いたぬいごで、この苗を一把ずつ束ねます。一把束ね終わるたびに、太鼓の合図で、小苗打ちの男児が、前に置かれた厚板を椿の棒でたたいて囃します。

続いて朝飯の式が行われ、祭壇に供えてある曲物を神官が下ろし、7人の宮方へ一升餅を5つに切ったものを配ります。
これは苗取朝仕事の朝飯の意味で、宮方は餅をいただいて紙につつみ、懐中に入れます。
次に田打ちの式となり、祭壇の桑の木の鍬六挺を神官が代人に渡すと鍬の刃を前に捧げて拝殿に下りて拝礼。小苗打ちが囃します。次の昼飯の式は朝飯と同じです。
大足の式では、祭壇に供えてある長さ約1メートルの大足を神官がおろし、宮方の大足引きに渡します。
大足引きは神前に向かって身体を屈め、左の足から踏み出し、左の手に大足を寄せながら、右の手を放さずすぐ右の足を踏み出し、右の手に大足を寄せながら

左の手を放さず、前へ7足、後へ5足、また前へ進むこと3足、合わせて7、5、3で1回とします。その度に太鼓の合図で小苗打ちが囃ます。
田植の式では、6人の代人が拝殿に進み、苗取りの式にとった松の葉を一把ずつ懐中から出し、自分の前に撒きます。
一把植えるごとに、神歌を唱え、太鼓を合図に小苗打ちが囃します。
終わりに夕飯の式が行われ、その後、拝殿内に神饌の餅(現在はお供えしたお菓子など)が撒かれ、参加した子供たちや見物者が拾って持ち帰ります。
これを食べると1年健康で過ごせると言われています。

御田植神事は昭和45年、県の無形文化財に指定されました。


小木地区小比叡の小比叡神社の田遊び神事


小木地区小比叡の小比叡神社の田遊び神事は、2月6日の午後1時30分ころから拝殿で行われます。(現在休止)

神事は、頭取1人、太鼓1人、田人3人、「からす」「むくろ」5人によって行わます。神事を前にご祈祷とお弓神事が行われます。

頭取の開始の言葉とともに太鼓が打ち鳴らされると、田人3人が、餅鍬をかついで「出雲の国から田打こそ参りた」と唱えながら、田に見立てた舞台に向かいます。

そして「春くわにそんぶり」と鍬を振り上げ、田を打つ所作を3回繰り返します。すると幕のかげに隠れていた蓑を着たもぐらと黒装束の烏役の男が出てきて田人を押し倒したり顔に墨を塗ったりと乱暴します。(この所作は田人が出るたびに行われます)

以下、神事は次の順序で行われます。
朝食(田人は頭取のところで、実際に酒肴にあずかります)
田の水かげんを見に行く、エンブリ(田をならす)、ベコ(牛)つかい(三升くらいで作った餅を、中ほどで縄で結んだものを牛に見立て田をこなす所作)
苗草ふり(肥料をまく所作で、松の葉を撒く)、大足引き(松の枝を大足に見たて、田をならす所作)、種蒔き(福の種といって、小さい餅などを見物人に撒く)
苗とり、苗はこび(両端に餅を吊り下げた棒で苗を運ぶ)、最後に田植え。
「田をつくらば柳の下に田をつくれ 柳のやぶにほなみゆらせて」とうたって穏やかに田植えを終えます。

からすやむくろは、農作業の大変さ・難しさを表現していますが、暴れするほど豊作になると言われています。

田遊び神事は、宮守の久四郎家に嘉永5年(1852)の神事記録が伝えられており、江戸時代後期にはすでに演じられていたものと思われます。

平成16年に佐渡市の無形民俗文化財に指定されています。

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