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佐渡芸能の歴史

春駒解説:山本修巳  
(郷土史家、佐渡市文化財保護審議会会長、「佐渡郷土文化」主宰)

春駒は、佐渡では一般に「はりごま」と呼ばれ、舞方と地方(じかた)の2人が組になって、地方の小さな太鼓と唄と舞方のアドリブを混えた台詞とで、交互に掛合いながら舞います。

門付け芸の佐渡の春駒が、どの時代に始まったかは分かりません。春駒らしいものとしては、延享3(1746)年の相川地区相川下戸町の善知鳥(うとう)神社の祭礼絵巻に、馬と鹿の頭を持った男が描かれています。また、天保年間(1830-44)に石井文海が描いた絵には鬼太鼓といっしょに箱馬が見えます。

善知鳥神社の祭礼で長坂町や大工町の坑夫たちによって演じられ、誰でもが即興的に行えたと思われます。絵は乗馬型の春駒です。

佐渡の春駒には、陣笠をかぶり、乗馬型で茶色の面をかぶる男春駒と右手に駒頭をもって白く鼻のつぶれた面をかぶる女春駒とがあります。

乗馬型は大型で重量もあるので、首から吊して支え、腰には丸いザルに布をかぶせて馬の尻にします。相川で春駒といえば男春駒をさし、初春に村々を歩きました。

しかし、舞方には駒頭をつかう女春駒があり、こちらを夏駒といい春祭りが過ぎてから歩きます。

相川ではじまった男春駒と白面の女春駒とは由来も伝承者も違うのであろうが、現在では衣装なども似て、演目もあまり差がなく、合流がすすんでいるかのようです。

現在、春駒は正月、両津地区で「春の始めに春駒なんぞ 夢に見てさえ良いとや申す」などとにぎやかに門付けしている他、祝いの席などで披露されています。

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