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佐渡芸能の歴史

狂言解説:山本修巳  
(郷土史家、佐渡市文化財保護審議会会長、「佐渡郷土文化」主宰)

鷺流狂言はいつころからあったか


相川の春日社・大山祇社に始まった神事能には、間狂言や番狂言の記録はありません。
佐渡奉行所の初代代官・大久保長安が連れてきた一行のなかにはお囃子方・狂言師が加わっていましたが、氏名や流派は不明です。
延享4(1747)年、春日社で催された本間右近の勧進能には、翁の三番与三右衛門、狂言方の三左衛門の名前があります。新穂村潟上の宝生座に狂言方がいたのようです。
くわしくはわかりませんが、室町(1392-1573)末期に確立した大蔵流ではないかと思われます。

鷺流狂言の伝来と継承


江戸時代初期に流派を形成した鷺流狂言を佐渡に伝えたのは、両津市吾潟の葉梨源内です。
江戸で修業、帰島して、文政年間(1830-44)にかけて活躍しましたが、同じころの鷺流宗家相伝書を伝える佐和田町沢根土屋辰次郎ともども、くわしくはわかりません。
静観の弟子には、両津市夷の安藤世彦・幸彦がいました。
静観の相弟子に、佐和田町沢根の林千代治・畑福新三郎や両津市加茂歌代の古城弥十郎がいました。

また、両津市湊には林千代治・安藤世彦・幸彦の教えを受けた慶応3(1867)年生まれの天田庄右衛門がいました。
真野町吉岡の鶴間兵蔵は万延元(1860)年に生まれ、明治18年上京、鷺流狂言の家元鷺権之丞に弟子入り、帰島して広めました。
弟子に佐々木文蔵・岩本量宏がおり、文蔵の弟子の土屋増一がただ一人最後に演じていました。真野町椿尾の中島武雄は、父晴好から習ったということです。
なお、鶴間兵増が筆写した狂言本が、真野町吉岡の若林義太郎のもとに保存されています。

山口、佐渡、佐賀だけに残る鷺流狂言


鷺流は、19世の鷺権之丞まで宗家は継承されましたが、狂言の他の2流(大蔵流、和泉流)のように明治維新後の能楽界の混乱期を乗り切ることができず、明治28 年19世権之丞の死によって宗家は廃絶しました。大正末期までには完全に中央の狂言界から姿を消しましたが、佐渡ではその弟子たちにより継承されてきました。

現在、全国で鷺流狂言が継承されているのは山口県山口市と新潟県佐渡市、佐賀県神埼市だけで、近年、交流も行われています。佐渡では、真野地区で佐渡鷺流狂言研究会中心となり鷺流狂言の継承者養成に力をつくしています。

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