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鷺流狂言さぎりゅうきょうげん

開催日

4月14,18日

開催地

吉岡 / 総社神社, 竹田 / 大膳神社

→アクセス

相川の春日社・大山祇社に始まった神事能には、間狂言や番狂言の記録はありません。
佐渡奉行所の初代代官・大久保長安が連れてきた一行のなかにはお囃子方・狂言師が加わっていましたが、氏名や流派は不明です。
延享4年(1747年)、春日社で催された本間右近の勧進能には、翁の三番与三右衛門、狂言方の三左衛門の名前があります。
新穂村潟上の宝生座に狂言方がいたようです。くわしくはわかりませんが、室町(1392-1573)末期に確立した大蔵流ではないかと思われます。
江戸時代初期に流派を形成した鷺流狂言を佐渡に伝えたのは、両津市吾潟の葉梨源内です。

江戸で修業、帰島して、文政年間(1830-1844年)にかけて活躍しましたが、同じころの鷺流宗家相伝書を伝える佐和田町沢根土屋辰次郎ともども、くわしくはわかりません。
幕末から明治にかけて、鷺流狂言を広めた人に三河静観がいます。
静観は奉行鈴木重嶺の用人として来島し、明治維新後も佐渡君役所に書記として勤めました。静観の弟子には、両津市夷の安藤世彦・幸彦がいした。
静観の相弟子に、佐和田町沢根の林千代治・畑福新三郎や両津市加茂歌代の古城弥十郎がいました。

また、両津市湊には林千代治・安藤世彦・幸彦の教えを受けた慶応3年(1867年)生まれの天田庄右衛門がいました。
真野町吉岡の鶴間兵蔵は万延元年(1860年)に生まれ、明治18年上京、鷺流狂言の家元鷺権之丞に弟子入り、帰島して広めました。
弟子に佐々木文蔵・岩本量宏がおり、文蔵の弟子の土屋増一がただ一人最後に演じていました。
真野町椿尾の中島武雄は、父晴好から習ったということです。なお、鶴間兵増が筆写した狂言本が、真野町吉岡の若林義太郎のもとに保存されています。
現在、真野地区では佐渡鷺流狂言研究会中心となり鷺流狂言の継承者養成に力をつくしています。

みどころ

狂言は喜劇的で庶民的なものと言われ能に比べ初めての人でもわかりやすい。役者の口調や表情、しぐさなどによって、おもしろおかしく話を展開し楽しめる。

アクセス

住所

〒952-0312 新潟県佐渡市吉岡793-1

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バス

南線 「竹田橋」下車
南線:時刻表

両津港から車で約30分
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