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佐渡芸能の歴史

ちょぼくり解説:山本修巳  
(郷土史家、佐渡市文化財保護審議会会長、「佐渡郷土文化」主宰)

羽茂地区大崎に伝えられてきた「ちょぼくり」は、正しくは「ちょぼくれ」といい江戸時代中期以前に関西から始まった大道芸だといわれています。
大崎では明治30年頃、北海道へ移住したり屯田兵に行っていた人が帰ってきて教えたといわれています。
明治30年代末頃、大場鉄蔵(慶応元年生まれ)と本間治吉(明治3年生まれ)が中心になって踊っていました。
そして大正期にかけて広く普及し、酒が出れば板の間や囲炉裏縁をたたき、畳半畳の広さがあれば踊ったといいます。
その後中断していて、昭和39年(1964)、宮本寺にちょぼくりの台本が残っていたことと、かつて踊っていた記憶があった葛原五兵衛、大山満蔵などによって復活しました。
そして昭和53年以降「大崎そばの会」の場で上演することによって地域に定着してきました。

大崎では地方は机に向かって座し、俎板を火箸で打って調子を取りながら語ります。立方は、衣装は黒い破れ衣に一文字笠、腰に一升徳利を下げ「八升九升飲み流す」で手に取って飲むしぐさ。
「おっと変わって」からテンポが早くなると、踊りも早くなり、文句にあったユーモラスな踊りが連続し、最後は雲を霞と逃げて行きます。

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