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佐渡芸能の歴史

盆踊り解説:山本修巳  
(郷土史家、佐渡市文化財保護審議会会長、「佐渡郷土文化」主宰)

文政13年(1830)年、佐渡奉行所の役人蔵田茂樹は『恵美草』(『鄙の手振』ともいう)に盆踊りの様子を次の様に記していいます。

「7月13日の夜から4日間踊る。踊り手は借装し、水草の模様を染めた白い着物に、鳥獣を象った笠をつけ、木履に鈴をつけて鳴らす。また、さまざまな形を燈籠にして頭にのせ、あるいは素足のまま尻まくりをしたり、裾まくりや股引きなど、女は男に、男は女によそおい、老若男女みな踊る。」

踊り方は「ゆすりてさわぐ」、「すぢりもぢり舞踊る」とあり、活発なしぐさの踊りではなかったかと思われます。
「年も三五の振袖ざかり、月のさはりもしら歯の娘 結ぶまもなき其下紐も」とうたうと、「今はようよううちとけ顔よ 梅のにおいを桜にもたせと続ける」と書かれています。
歌詞は「おさん仙次郎心中濃茶染」の一節で、宝暦6(1758)年、相川地区下寺町における心中事件を素材にしたものです。心中くどきであり、「音頭踊」でした。
ほかに「甚句踊」もありました。歌詞は、心中物から「源氏軍談」の軍記物が中心になったのは「御前踊」ともいわれるように奉行の観覧に供した天保年間(1830-44)ころからではないかと思われます。

盆踊りは明治2年に厳禁になりましたが、明治30年の鉱山祭りでおけさ流しが行われ、復活しました。

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