住所
〒952-2205 新潟県佐渡市大倉地図情報をLINEに送る
バス
海府線 「大倉」下車 徒歩5分海府線:時刻表
車
両津港から車で約90駐車場なし
相川地区大倉集落の大幡神社は、佐渡の延喜式内社9社のうちの一つで、春の例祭では、社殿前で、警護の芸(シキ)として太鼓や薙刀、棒振り、箱馬、豆まき、獅子舞など多彩な芸が奉納された後、流鏑馬が行われます。
太鼓は、裏打ちの太鼓のリズムにあわせ、艶やかな衣装を着た表打ち(太鼓打ち)が、片足を上げながら太鼓に向かっていき打つもので、「一足型」鬼太鼓に分類されます。これは相川地区の鬼太鼓の原型ともいわれています。
太鼓打ちは途中、「そらきた、そらきた、そらうまこい」の掛け声を入れて盛り上げます。
豆まきは、翁の衣装で手に枡と柿(果物)を持って舞う赤鬼と、棒を持って仁王立ちした黒鬼が登場。赤鬼が黒鬼をからかうように太鼓と黒鬼の間を行ったり来たりしながら舞います。そして舞の終わりには赤鬼が「福は内」と唱えます。
箱馬は、手ぬぐいを頬被りをした2人の男が右手に持った箱馬を鳴らしながら棒振りに向かって舞います。そこに獅子も加わります。佐渡ではこの集落の祭りでしか見られません。
箱馬の舞手が右手に持っているのは、馬の頭に似せた木製の箱で、手綱の紐に古銭が通されていて振ると馬が走る蹄の音のようです。
芸能の最後は、露払い役による薙刀で武士姿の二人がみごとな薙刀さばきを見せてくれます。
金山で栄えた江戸時代の相川の祭りの絵には、大倉の祭りの芸能に見られるような太鼓や箱馬、豆まきなど、さまざまな芸能が一堂に描かれています。
現在、これらの芸能は、近年、境内のみでしか演じられていませんが、かつては棒振りや薙刀などは集落内を回り門付けを行っていたそうです。(昭和48年頃まで)また、流鏑馬は、かつては神輿とともに集落前の海岸に下り、行われていました。流鏑馬は、国家安泰のような大きな願い事をする「カミの的」と、個人的な祈願をする「シモの的」があり、かつては2人の射手が出て馬の上から的を射ていました。この流鏑馬が始まるころには必ず北風が吹くといい、これは神様がアイヌの風(北風)に乗って来るためと伝えられています。
次々演じられる芸能から、目をはなさないように。
大膳神社の奉納能
大膳神社の能舞台は、佐渡に現存する35の能舞台の中で最も古く、茅葺き、寄棟造。佐渡で能に携わる人たちの多くはプロではなく、それぞれ仕事をしながら能の研鑽に努めている。演能のシテ方は、今は全て宝生流。
八幡まつりの鬼太鼓
豆まき型の鬼太鼓で、長刀を持つ青鬼、棒を持つ赤鬼、升とナスを持つ黒面の豆まき翁、白面の豆まき翁の構成。白面、黒面の翁が交互に舞い、鬼を退散する。八の字に足踏みする翁の舞は、麦踏みを模しているという。
加茂歌代まつりの鬼太鼓
上組、中組、下組の3組の鬼太鼓が賑やかに門付けしてまわる。鬼太鼓の舞いは、両津夷集落から習ってきたものとされ、動きが大きい。朝6時に神社でそろって舞を奉納したあと、夕方まで門付けを続ける。