住所
〒952-0821 新潟県佐渡市松ケ崎1009地図情報をLINEに送る
バス
東海岸線 「本行寺前」下車東海岸線:時刻表
松前まつりは、佐渡市松ケ崎集落にある松前神社の例祭で、午前8時から鬼太鼓が神社を出発して午後7時ころまで集落内を門付けしてまわります。
この他、雄雌の大獅子が、二手に分かれて門付けしてまわります。獅子の中には5人の大人が入り木遣り歌にあわせて舞い、玄関で頭を鳴らし厄を払います。
獅子組は、所々で家に上がり込んで料理や酒のふるまいを受けます。
青が雌、赤が雄です。この集落の大獅子は、文化11年ころから始まったという記録があります。威勢の良い大獅子ですが、神輿が通過する際は、地面にひれ伏し、おとなしく神輿の通過を待ちます。
神輿は、午後4時頃に猿田彦を先頭に多くのお供がついて下り羽や笛の演奏のもと神社を出発して集落内をまわり、集落の入り口にある2ケ所の御旅所(青木と西)まで、渡御します。
神輿は一年交代で、青木と西の御旅所に夜の帰還の時まで安置されます。昭和58年ころまでは、神輿は、隣の浦ノ河内集落まで行っていました。
御旅所では、神官のお祓いのあと、鬼太鼓が「礼式」と呼ばれる本舞を奉納します。
午後8時からは、おけやきと呼ばれるちょうちん山車(松の木を山車の中央に立て、提灯をぶらさげ、太鼓を乗せたもの)と神輿が御旅所を出て、ゆっくりと神社に向かいます。
御旅所は、青木と西の2ケ所あり、ちょうちん山車と神輿の出発点は、年によって変わります。
おけやきを引く男衆は、祭りを終わらせたくないという思いから道中の所々で休憩しては、酒を飲んで伊勢音頭を歌います。(終了は午前0時前)
神社の参道の両側には、一斗缶を棒で叩く役の人たちがいて、おけやきが入る時に、打ち鳴らし神輿をお迎えします。
鬼太鼓は、前浜型鬼太鼓で、サカキや松の枝で飾られた鬼山車に、太鼓とそれを叩く裏打ち役を乗せて、ロープで引きながら集落内の家々をまわります。
文化2年に鬼面を2つと太鼓を作ったという記録が神社に残されていて、この集落で始まった鬼太鼓が、のちに近隣の集落に伝わったと見られています。
舞手は、赤鬼と青鬼、鬼面をつけない助打ち2人で、鬼と助打ちが組になり太鼓と横笛のリズムにあわせて、相踊りをします。
面をつけた鬼同士で舞うことはめったになく神社、御旅所、善宝寺などでの本舞で見られます。
また、その家の人のリクエストにより、半纏を来た奏者や山車の引き手らが舞うこともあります。(半纏鬼と呼ぶ)
舞手の組み合わせは、仕切り役が決めます。仕切り役は、かつては半切面をつけたロウソが努めていましたが、現在は、拍子木を打ち鳴らしてご祝儀を披露します。
舞は、すり足が基本のため、履いているわらじのすり減るのが早く、一日で20足くらいのわらじを履き替えます。
この舞は、佐渡鉱山で働く鉱夫が薄暗い坑道をすり足で足場を確かめながら進んでいく姿を現しているそうです。
祭りの前夜には宵宮があり、午後7時ころから神前に舞が奉納されます。
この他、昭和の終わりころまでは、芸山車や船の引き回しもありました。
威勢の良い大獅子も、神輿が通過する際は、おとなしくひれ伏して見送る。
徳和まつり(秋)の鬼太鼓と大獅子
徳和集落の8つの集落で行う秋のまつりで、浅生集落から鬼太鼓、他の集落から大獅子が出る。鬼太鼓は、片足を上げて踊る「一足型」が特徴。江戸時代末期に伝わり、鉱山の坑夫が金を掘る姿を舞踊化したともいわれる。
戸地まつりの白刃
神道白刃は、武術を長く忘れることのないようにと武技の形に鬼太鼓の舞を取り入れた武芸。武具は、小薙刀・大薙刀・半棒・大棒・陣鎌の5種。その組技が54もある。最後は、相手の刀に鎖を巻き付け奪い取る。
宵の舞(相川音頭流し)
江戸時代に佐渡金銀山と佐渡奉行所を結んだメインストリート「京町通り」で、日没後にぼんぼりに火がともると、島内外から参加した民謡愛好者が浴衣に編み笠姿で、生の演奏と哀愁をおびた歌にあわせ踊り流す。