住所
〒952-0103 新潟県佐渡市新穂潟上2532地図情報をLINEに送る
バス
南線 「天王下」下車 徒歩10分南線:時刻表
車
両津港から車で約10分駐車場あり5台
天王まつりは、加茂湖の南側、新穂潟上の丘陵地の森にある牛尾神社の祭礼で、毎年、6月12日に前夜祭、13日に本祭が行われます。
氏子は新穂潟上と吾潟の2つの集落で、祭り当日は、それぞれの集落から鬼太鼓が出て各家を門付けします。また、前夜祭では、神事能とともに2集落の鬼太鼓が奉納されます。
この集落の鬼太鼓は、享保年間(1716~36)に新穂潟上の佐渡宝生流宗家第十代太夫の本間右宗清房が、鬼の舞に能の舞い方を取り入れて氏子に指導し、牛尾神社の祭礼で奉納したのが始まりとされています。
その舞には、随所で能の摺り足の所作などが見られ現在、佐渡のおよそ120ケ所で行われている鬼太鼓の、およそ6割が、この集落の鬼太鼓の舞方を取り入れたもので、いわゆる「潟上型」の始まりとされています。
また、太鼓は、同集落の関口六助が安政年間(1850~60)に信濃や祇園で習ってきたものを、代々研鑽してきたと言われており、鬼の舞いに合わせた「しだら打ち」(常に一定のリズムを刻む太鼓の地打ち)が特徴です。
当日の例祭では、2組の鬼太鼓が神社にあつまり、それぞれの舞を奉納したあと、神輿とともに御旅所などをまわります。
潟上集落の鬼太鼓は、午前6時から大佐渡側と小佐渡側に分かれて2組で集落内を日が暮れるまで門付けします。その内の一組の雌の鬼の面に、能に用いられる般若面(島内では珍しい)が使われています。
また、過去に鬼太鼓を盛り上げるために獅子を取り入れたこともありましたが、不幸が続いたことから中止となったという云われもあります。
現在は、潟上誠心会により伝承されています。
一方、吾潟集落の鬼太鼓は、午前6時から集落センターから打ち出し、日が暮れるまで集落内を門付けします。
途中にある鬼面を寄贈した家(北見家)を代々、面宿と呼び、休憩の際に、鬼面をこの家の床の間に祀る習慣が残っています。
その昔から使われていた名工作の鬼面は、現在、佐渡博物館に保管されています。
鬼の舞は、畳一枚分の広さで舞えと言われてきているように、飛び跳ねるような大きな動きはありませんが、見得を切るような振りが特徴です。
現在は、吾潟鬼保存会により伝承されています。
祭りでは鬼太鼓の他に、例大祭が行われる神社の拝殿で佐渡神楽(巫女舞、男舞)が見られる他、三年に一度、子供たちによる「下り羽」も奉納されます。
祭りでは、二つの集落の鬼太鼓が見られる。
小泊まつりの太鼓
羽茂本郷の若衆鬼太鼓を習って始めたもの。台車に乗せた大太鼓を表側に少し傾け、裏と表で太鼓を叩く。表太鼓は、2人が向かい合って交代しながら叩く。太鼓に向かって進む時は、片足をあげる。
天王まつりの鬼太鼓
この集落の鬼太鼓は、江戸時代に能太夫が鬼舞に能の動きを取り入れた振り付けで、牛尾神社に奉納したとされている。この振り付けは、佐渡の鬼太鼓の6割が取り入れている「潟上型」の始まりとされている。
北田野浦まつり
動物に仮装したものが太鼓などで囃子ながら中で踊り(しし舞)、その外側を「花笠」踊りが取り巻く。獅子頭は、竹の骨組みに苔を貼り、頭の毛にスガモという海藻を使う。薄明りの下で行われる幻想的な芸能。