住所
〒952-0857 新潟県佐渡市岩首119地図情報をLINEに送る
バス
東海岸線 「岩首」下車東海岸線:時刻表
両津地区の南東、岩首集落にある熊野神社の秋の例大祭では、岩首余興部による鬼太鼓と大獅子が集落内を一日かけて門付けしてまわります。鬼太鼓は、赤鬼と青鬼、助打ち(たすきを掛けた舞手)、太鼓、笛で構成され、踊りは2人が組になって打つ(地元では舞うことを打つと言います)「前浜型」で、その昔、相川地区から伝わったと言われています。
人口減少による人手不足により近年は、島外に出た集落出身者が祭りの日だけ里帰りしたり、鼓童研修生とそのOBなども加わって祭りを盛り上げています。その年に誰が鬼を打つかは、祭りの15日前から始まる稽古の様子を見て、指導者から指名されます。若者にとって鬼を打つことは、とても名誉なことだということです。
太鼓のリズムは、しゃぎり、もみだし、その組合わせの3つがあり、だれが舞うかやその場の雰囲気で打ち方が変わります。笛もそれにあわせて変わります。
鬼の舞は、「ドコドンチンドン」と言って静かに緩やかに舞うものと、「ドンコスケドンコスケドコドコドン」と言って早いテンポで舞うものがあります。
いずれも2人が向かい合って、腰を低く落として舞います。舞っている時は、まわりから「ソラヤレ、ソラヤレ、ソラヤレ、ソラヤレ!」の掛け声が掛けられ場を盛り上げます。
門付けでは、祭りに呼ばれた親戚や知人が各家でもてなし料理などを作って鬼太鼓を迎えます。お花(ご祝儀)がいくつも出るため、鬼の舞、助打ちの舞など組み合わせを変えながら、一軒で、いくつも舞います。鬼役は、朝と午前と午後で交代しますが、一度、面をつけたら交代になるまで面を外すことはできません。舞うと面の中に熱がこもるため、うちわであおって風をおくる役もいます。
祭りには、この他、大人7が入った大獅子が、鬼太鼓より前に家々を回って厄払いをしますが、その先導役が、鼻切り面に赤い頭巾をかぶり幣束を持ったロウソ。ロウソはこの祭りの芸の中では一番位が高い存在で、時々、鬼太鼓でも助打ちとして舞を披露します。ロウソは獅子をつれて家々をまわり、玄関で口上を述べると獅子が3回まわります。祭りの役員や区長の家では、獅子が上がり込んでもてなしを受けます。門付けが終わると、祭りを惜しむかのように、大獅子が木遣り歌にあわせゆっくりと神社前の坂道を登っていく「ねりあげ」が行われます。
鬼太鼓と大獅子は、3月15日(近年では15日近くの日曜日)の春の祈願祭にも神社境内で舞われます。岩首集落の祭は、かつては、この春まつりがメインで、門付けも行われていました。
二匹の鬼が組になって、交差しながら舞う「前浜型」の鬼太鼓で、鬼以外に鮮やかな衣装にたすき掛けの助打ちも舞に加わって一軒の家で、何度も舞うのが特徴。門付けを終えて夜に神社の前の坂道を、大獅子が、ゆっくりと神社に帰る「練り上げ」もみどころ。
徳和まつり(秋)の鬼太鼓と大獅子
徳和集落の8つの集落で行う秋のまつりで、浅生集落から鬼太鼓、他の集落から大獅子が出る。鬼太鼓は、片足を上げて踊る「一足型」が特徴。江戸時代末期に伝わり、鉱山の坑夫が金を掘る姿を舞踊化したともいわれる。
上横山まつりの鬼太鼓
鬼太鼓は、能の要素を取り入れた潟上型で、大人の舞に加え、後継者育成のため子供の舞もある。また、潟上型では珍しい2人の鬼が向かい合って舞う組おどりも見られる。
宮浦まつりの鬼太鼓
鬼の舞は、能の要素を取り入れたもので、飛び跳ねたりしない静かな舞が特徴。太鼓前での獅子との攻防が見どころ。一宮神社は、承久の変で佐渡へ流された順徳上皇の第一皇女・慶子皇女ゆかりの神社。